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保存


グレートの珈琲は冷蔵・冷凍庫で保存すると風味、香が損なわれる様に思います。  


日陰の涼しい所で良いと思います。季節、状況にもよりますが、粉で一ヶ月、豆で二ヶ月位は美味しいです。


焙煎したての新鮮な珈琲は、袋詰めをした袋がパンパンに膨れる事があります。
これはガスが出るからです。爆発はしません!


新鮮な珈琲はペーパーで入れる時、泡立ちがいいですよね(^^)
ブクブクブクて、そんな感じじゃないでしょうか?

PS、 膨れた袋をピンで刺すといい香りです。



つぶやき

社長の話が興味深かったので、社長のつぶやきとしてメモってみました。

社長の周りのお客様や、業者さん、従業員、皆お付き合いの古い方が多いです。

社長は個性的な方とよく言われます。多分発想力、頭の回路?、が少し違うのか

なと思う時はあります(^^)

回転が早いので時々ついていけない事もあります(笑)

夢物語-1 笑 苦楽園


美味しいコーヒー

30歳の頃に、苦楽園でグレート珈琲を開店しました。

その頃の得意さんは喫茶店が多く80件位はありました。

しかし、喫茶店はオープンの時のサービスや集金の未収、帳合商売などで、大変でした。

最高で「グレート珈琲」と喫茶店を三軒、「更紗」・「苦楽園更紗」・「グレちゃん」と営業しました。

しかし、フルーツ三昧のモーニングや、毎日売れても売れなくても食パン30本の仕入れ等々大変でした。

小売りも少しずつ増えてました。

しかし、こだわりの豆の大量仕入れ、サービス商品のおやつ、ペーパー、珈琲ミル、サーバー等々大量に仕入れていたのでいつも資金繰りが大変でした。

運転資金で借りた6000千万の返済も減らずダメだな、、と思ってた頃、ローンで

買った980万の倉庫(四軒長屋の内の一軒)が立ち退きで四千万近くで売れまし

た。27.8年前バブル後半の時でした。

そして倉庫売買の翌日、配達途中に売り土地の看板!三千数百万円の更地!買

いだな!すぐ店に戻り看板の不動産屋に電話し即金で購入しました。

次に立ち退きの時に世話になった不動産屋に、三千数百万で買った土地を1億2

千万でチラシを出させました。

「社長ー、売れました!」不動産屋が駈け込んで来ました。周りには「当り前や!大

した事はない!落ち着け!」と言ってましたが、僕自身夜眠れなかった!

これで借金返済です!27年位前の事です。

価格

                  コロンビアスプレモ 先日入った豆!この袋の配色かわいいーby koma(*^_^*)


 よく聞かれます。グレートの珈琲はなぜ安いのかと

 簡単です!利幅が少なく、高く売らないからです(^ ^)

 で、なぜ利幅を少なく出来るのか?と言うと

 おかげさまで、48年培ってきた宝物、お客様が多いの

 で薄利多売(豆も大量に発注しますので、少し安く仕  入れられます)で、
 そこそこ利益が出ています。

 現金主義です。仕入れ、支払い全て現金です。
 これによって、良い豆がスピーディーに入荷します。

焙煎

好きです!

多い時で1日20~30釜、平均少なくみて15釜×1年350日働きました×49年長かった=約257250釜!

僕ほど焙煎した人はいないと思う。

これだけ焙煎してたら、良い豆を選んで、上手く焙煎するのも、美味しくブレンドするのも出来て当り前だと思う。

ただ、これは旨い!!!誰にも飲ませたくない!と思う位美味しい珈琲は、年に2.3回です。


僕の自慢は、焙煎した回数と、釜を修理した事がないのと、何時でも普通に美味しい焙煎を、普通に出来ることです。










結婚式

おかあさん(妻 昭子)が見つけてきた式場で、1番安くしてくれと言い仏滅の日に

式場を予約しました。

配達の合間、二人で行き式を挙げ写真を撮りました。

二時間位で5万円ぐらいだったかな

おかあさんと出合って三年位たってたかな~^^;

僕は三十歳ぐらいだったな

17歳で九州から一人流れてきて、「流れ者には女はいらない」

をもっとうにしていました。誰とも結婚はしないつもりでした。

が、気が付けば何時の間にか入籍も済んでました(笑)

グレートタイタン

僕が好きな馬でした。


1977年~1981年に活躍しました。最後方から



追い込み差し切りで走る競馬!凄かった!精一杯走っ



て走って最後は天皇賞直前、追い切りの練習中に心臓



まひで倒れこみました。


僕の珈琲歴49年の次に長いのが競馬歴46年です。



30歳の時、西宮の苦楽園(くらくえん)で再出発、関




西コーヒー、昭和コーヒー、渡辺コーヒー等々色々考



えてた時のグレートタイタン!これだ!周りの人はカ




タカナ(洋風)の名前に反対しました。



グレート珈琲に決めました。

お母さんとの出会い


お母さん(妻-昭子)は、神戸の高級住宅地、芦屋で


茶店「更紗」を営んでました。


こんな所に珈琲を売り込みたい!と言う思いで


日参し、半年後に入れてもらいました。嬉しかった!



とにかくよく働き、手はゴツゴツしていました。優しい人です。僕はお母さ


んを尊敬しました。


そのお母さんが「あんたの珈琲は美味しい!」と


1500万の資金を援助してくれました。


僕と僕の珈琲に惚れたのかなぁー(ー ー;)


場所を大阪から芦屋の近く、苦楽園に移し焙煎機も15K釜から20K


釜にしました。


グレート珈琲の始まりです。


35年前30才の頃でした。




昔話 笑 大阪


西川さんは、大阪で手広く雪印の牛乳販売店をしていました。
僕に色々な事を教えてくれました。

正月のえべっさんの時に「渡辺くん、火鉢の上に大きな鍋でお湯を沸かして

ビンの牛乳とコーヒー牛乳を温めて売って来い!」
40年位前の話です。売れたわ、売れた!

各200ケース!30円の牛乳を50円で、寒かったけど周りの

露店の人達も集まって来て楽しかったなぁ(^ ^)

柳のおばあさん

日生珈琲時代の、柳のお婆さんの事を思い出します。

柳のお婆さんは、始め自分で焙煎をして喫茶店を切り盛りしていました。

後に業者からも豆を仕入れだしたので、僕も売り込みに行きました。

豆の事も教えてくれました。「形の綺麗な豆より、豆の割れ方を見てこんなのが美

味しいんよ」とか

「渡辺君、あんたとこの珈琲一本に絞るから、今の珈琲を忘れたらあかんよ」て言

って僕の珈琲をとってくれました。

ある日、配達を終えての帰り道、柳のお婆さんが歩いてました。

声をかけると、「あんたの事が気になって、あんたとこ行く途中や」と。

ウチに来てもらって、うどんを食べながら少し話をし、柳さんを送っていきました。

柳さんと最後に色々話せて良かった。

その後は娘さんが後を継がれました。

今はその娘さんに、(喫茶店は辞められてますが)グレートの珈琲を愛飲してもらっ

てます。

三職

日生珈琲の大阪時代
西川さんの紹介で朝は大丸の配送の仕事
朝、誰よりも早く行き、横の列の他の人の配達分もコッソ
リ自分のトラック
(西川さん所のの牛乳配達の系トラック)
に積み込んで配達してました 笑
これを3ヶ月続け50万円位貯め、珈琲の袋やシールの副材を買いました。
昼は珈琲の焙煎と営業
夜はスナックを任せれ夜中の2時位まで開けてました。
生バンドを入れて、自ら歌いまくり商店街の店主らが毎晩来て
スロットをしてお祭り騒ぎだったなぁ~笑
警察がきてスロットを押収して行った事もあったけど、スロットの
中身のお金はどこへいったんだろう?笑

布団に入って寝る事はなく車で寝て、西川さんから喫茶
店の手伝いも任されてたので
モーニングサービスの手伝いで朝の4時からよくかりだされたなぁー
今、なごりか、睡眠時間は3~4時間です 笑


西川さん

                     (上記写真は、六甲グレートの店内写真を拝借しています(*^^*)

西川さんは、夜手伝っていた店のお客さんでした。
丁度「○賀珈琲」から独立したいと思っていた時の出会いでした。

店で、お酒を飲んだ後に珈琲をだすと、旨いもんやなぁ~と言いながら珈琲と

焙煎に興味を持ち、五坪の場所と百万円を貸してくれました。




西川さんが、「この頃ビールが飲めんねん……」て言って暫くしてガンって……


今、その当時よく僕に偉そうにしてた西川さんの息子(ひろ坊)が、大阪グレート珈琲をしてます (笑)

はじまりは

「日生(にっせい)コーヒー」


17才で神戸の「◯賀珈琲」に飛び込み.、人に使われる

が嫌で20才で(45年前)独立。


その時、場所を提供し証人になってくれた西川さん

が、岡山の日生(ひなせ)の出身でした。

と、言う事で名前を決めました。


大阪で10年.一生懸命働いても大手企業の独占時代

鳴かず飛ばずでした。辛かった。

小倉から

hurusato

思えば高校時代、夢も希望もなくメチャクチャでした。



親、兄弟から追い出される様に九州を出ました。


でも「かっちゃん、これ持って行き」と、ねえちゃんは、一カ月分の給料


7200円を持たせてくれました。


国鉄の高千穂18号、PM9:18(片道1800円)に乗り込みました。関門トンネ



ルを越え、もう戻れない!不安と寂しさで足元に涙がポタポタと落ちました。



周りの人に見られるのが恥かしくて、足でもみ消し、



着いた国鉄神戸駅のベンチで一晩過しました。



翌朝、姉の先輩増田さんを頼りに、大阪曽根崎警察前で待ち合わせ、中津の



運送会社で日当700円、日雇で働き始めました。



トラックの運転も見よう見まねで覚えました。
仕事中、「◯賀珈琲」の看板を見て何だろう?珈琲と初めての出会いです。


今から49年位前です。

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